鎌倉殿紀行

鎌倉殿の13人もスタートが近くなってきましたので、地元民として鎌倉殿に関係ありそうな場所をピックアップしてみようと思います。

鎌倉
京都
伊豆
兵庫
和歌山
岩手

鎌倉

大蔵幕府跡

富士川の合戦の後、鶴岡八幡宮の近くにある大蔵郷に建てた館がこちらの大蔵御所。
治承四年に完成し、将軍の政務が行われた。
現在は小学校。

鎌倉 由比ヶ浜

頼朝に捕らえられた静御前は義経の子供を産んだが、男の子であったため、産まれてすぐ由比ヶ浜に沈められた。
悲しんだ静御前は由比ヶ浜に入水して死んだとも、義経を追って奥州へ去ったとも伝えられる。

鶴岡八幡宮 段葛

頼朝が北条政子の安産祈願のために造営を始めたとされる。 曲がりくねっていた参道を由比ヶ浜まで直線にしたもの。 北条時政が携わったという。 低湿地のため、一段高い道が段葛で、特定の地位や高貴な人のための通路。 実は段葛に樹木が植えられたのは明治ごろ。 ちなみに、段葛は鶴岡八幡宮の境内なので私道扱い。

鎌倉まつり

静の舞という舞踊が奉納されます。 その昔、頼朝に捕らえられた静御前が舞を所望され、義経を思って舞ったのを起源に、八幡宮で毎年奉納されます 吾妻鏡には「まことにこれ社壇の壮観、梁塵ほとんど動くべし。上下みな興感を催す」 と記されたそうです 残念ながら、今はオンラインのようです

北条時房邸跡地

連署という鎌倉幕府ナンバー2の役職で執権を支えた。時房の屋敷跡地。八幡宮から徒歩5分ほどです。

源頼朝の墓

建久9年、相模川にかけた橋の完成祝いに出掛け、その帰り稲村ガ崎で落馬してしまい、それが原因で翌年に53歳で亡くなった。現在の塔は江戸時代に島津家によって建てられたもの。 北条時代の始まりの地と言える。

鎌倉 鶴岡八幡宮の大銀杏

源実朝が甥の公暁に暗殺された際に公暁が隠れていたとされる銀杏の跡。 平成22年に強風で倒れてしまったが、根から新しい芽が出て丁寧に育てられている。

寿福寺

臨済宗建長寺派。鎌倉五山第三位。
源頼朝の父・義朝の居館があった所に建っている。
頼朝が亡くなると北条政子が義朝ゆかりの土地に創建した。
墓地には源実朝、北条政子の墓と伝えられる五輪塔がある。

建長寺

鎌倉五山第一位。
鎌倉幕府第5代執権の北条時頼を開基としており、現在も北条家の家紋の入った瓦を使用する。
日本で初めての禅専門道場。
けんちん汁の語源との説もある。

東勝寺跡

かつて関東十刹の一つであったとされる。
鎌倉幕府末期、鎌倉に攻め寄せた新田義貞の軍に対し、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが、成すすべもなく自ら火を放って自刃した。この時ともに死んだ者は、合わせて870人余にもなるという。
鎌倉幕府終焉の地。

京都

京都 五条大橋

言わずと知れた牛若丸と弁慶が出会った橋 実は現在は位置が違う。 また、義経記によれば2人の出会いは清水観音の境内となる。

神泉苑

義経と静御前が初めて出会った場所とされる。 船遊びなをするため、桓武天皇に造営された広大な庭園。 空海が善女龍王に雨乞いをして日本中に雨を降らせたことで知られる。

伊豆

頼朝・政子腰掛け石

静岡県熱海市の伊豆山神社にある石のベンチ。流人の貴族頼朝と、北条政子がここで逢瀬を楽しんだとの事です。
この神社で源氏再興、打倒平氏へと誓いを立てたのなら、平家にとって厄介な神社ですね。

和歌山

高野山 金剛三昧院

源頼朝を弔うため北条政子が創建し、後に源実朝の遺骨も納められた この多宝塔は政子が頼朝、実朝を供養するために建てたもので、高野山においても最古の木造建築物。
国宝、および世界遺産の一部。
西国愛染霊場の大トリに相応しい

兵庫

兵庫県 須磨区 須磨寺

寿永三年の一ノ谷の戦いで、源義経が首実検した時に座ったとされる松。
平敦盛の笛もここに展示されている。
信長で有名な能の敦盛の題材。

岩手

平泉 中尊寺 弁慶堂

本来は愛宕宮と称し、主に義経、弁慶に関する文物が収められた小さめのお堂。
鎌倉彫の弁慶立ち往生像などが祀られています。 No tags for this post.

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