新撰組初代局長 芹沢鴨は
文久3年(1863年)9月16日現在の八木邸で暗殺された。
芹沢は剛勇無双の男だったが、討ち手は土方歳三、山南敬助、原田左之助、それと沖田総司。
沖田総司の一刀で右肩を斬られた芹沢が、ふすまを倒して隣室に転がり込み、
その背後を原田左之助が上段から切り下げたが、刀が鴨居に当たってからくも芹沢は逃れた。
そのまま廊下に出ようとしたが、廊下に文机がありガラリと転倒し、両手をついたところへ土方歳三の刀が刺し貫いた。
すると、最後に見たのは目の前の井戸だったであろうか。
芹沢の死亡は長州藩士の襲撃と報告され、9月18日に神式にて葬儀が執り行われた。
墓は京都市中京区の壬生寺。
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