鼠小僧次郎吉について語ろう

今日は鼠小僧次郎吉のお話をしようと思います。

次郎吉は寛政9年(1797年)に生まれ、天保3年(1832年)に処刑されました。
主に大名屋敷を専門に荒らした盗賊です。
小柄で身軽な体格で、鳶職や町火消しー経て泥棒になったと言われます。
義賊と呼ばれますが、庶民に小判を配るのは後述の歌舞伎からのイメージで、そのような記録は無く、普通に博打なり妾の手当なりに使ったようです。
また武家屋敷を狙ったのは人のいない部屋が多く、盗まれても対面を気にして届け出ないという理由からと思われます。

庶民の敵である大名旗本から専門に盗み、刃物とか無粋な物を使わず血を流さない流儀が、江戸庶民にとって痛快だったのだと思われます。
日本版ダニー・オーシャンだと思えばだいたい合ってるのではないでしょうか。

侵入した屋敷は839回98箇所。
盗んだ金は日本円にして六億円との事です。

2度目に捕縛された後、市中引き回しの上、鈴ヶ森刑場で斬首。
有名人の鼠小僧を見ようと大勢の野次馬が押しかけ、
処刑に臨んで薄化粧に長襦袢、歌舞伎役者のようだったそうです。
盗賊ながら堂々とした最後だったのですね。

江戸時代は連帯責任社会ですが、親から勘当されていて、捕縛前に妻や妾にも離縁状を渡しており連座させる事が無かったそうです。

刑死後程なく実録本「鼠小僧実記」が書かれ、安政四年にそれを原作にした歌舞伎「鼠小紋東君新形」が上演されヒーローの座を獲得する事となります。

死罪人ですので墓はありませんが、両国の回向院に供養碑があります。
全国の泥棒に墓石を削られてしまうので、碑の前に前立ちの石があり、参拝者や受験生が削ってお守りにするそうです。

戒名は教覚速善居士。
江戸一番の怪盗に相応しい戒名と思います。
鼠小僧は武士階級が絶対であった江戸時代で、武家屋敷に徒党を組まず一人で盗みに入り、かつ火事も死傷者を出さない手口が反権力の象徴になったようです。

梅木千世でした。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+